前橋のシンボル呑龍横丁へ

かつて「吞龍マーケット」は戦後復興のシンボルであった!
これから「吞竜横丁」は前橋およびコロナ禍からの復興のシンボルに!!

吞竜飲食店街の歴史

終戦のわずか10日前の昭和20年8月5日に被災人口65%にも至る前橋大空襲がありました。

昭和22年の戦災復興計画に基づき大蓮寺の土地に呑龍仲店が建てられ、焼け野原の中のマーケットとして 復興のシンボルとなりました。

呑龍仲店の呑竜は、上州にゆかりのある浄土宗の高僧「呑龍上人」に由来します。戦後直ぐ希望を失っている前橋の市民に同じ宗派である大蓮寺が商店及び居住場所を貸し出したのは、呑龍上人の精神があっての事のようです。

※呑龍上人は、徳川家康から太田市に大光院という寺を与えられています。 貧しい子供を手厚く保護したことから、「子育て呑龍」と呼ばれています。

大蓮寺

呑龍横丁という文化を未来へつなぐ

古き良きを新しい形で

あらゆる世代の人が集い、知らぬ人同士も声を掛け合い、打ち解ける。

往来する人が減り、衰退したなと揶揄される前橋の街中。「当時のような活気を取り戻したい」本気でそう願い、行動する者たちの手で、呑龍横丁は再び灯りを取り戻しました。

あとは主役のお客様方を待つのみです。

どこか懐かしい匂いのする、昭和レトロな飲み屋街、でも見た目だけじゃない、人情味溢れる呑龍横丁へ、とりあえず一回、来て見ないね。